最後は仕事と介護と介護のタンゴだった母の1年
海と山に囲まれた地域で痴呆寝たきりとなった祖母。
他にも兄弟がいるにもかかわらず、
一番遠くに住んでいた母が引き取った。
引き取ったといっても、
近所の新設された特別老人ホームにいれることにした。
特別老人ホームに入っていても、
毎日夕飯時刻頃通い、
仕事の都合上夕方いけなくなると、
昼間声をかけに行った。
スポンサードリンク
寝たきりにされていた精神病院。
ヘッドレスト付の車いすに乗せるようになった、
特別老人ホーム。
毎日声をかけること、手を触ることで痴呆の症状は5年をかけてよくなっていく。
特別老人ホームに入所して2年後、
よくみかける車いすに変更購入。
理由は首がすわるようになったから。
特別老人ホームに入所して5年後、
手のひらにハンドクリームを出すと、
手をこすりあわせて伸ばし、顔につけられるようになった。
毎日通うことで、
母はここまで寝たきりの祖母を元に戻した。
そして、5年かけて徐々に出来なくなっていった。
その間、世間でいう定年を迎えた母。
契約社員として65才まで働き続けた。
新たに社員として働くことを拒否した。
なぜならば、愛犬も介護も必要な時期を迎えていた。
ぐいぐい引っ張る散歩嗜好も、初老の30分コースから20分コースへ・・・
このころにはぐいぐい引っ張るのも始めの5分。
終わりの10分は人間よりも歩くのが遅くなった。
階段で登るときに足を滑らせることが多くなり、
大好きな車に乗ることを遠慮するようになった。
後ろ足の踏ん張りがきかなくなった。
自分で車に飛び乗ることが出来なくなった。
そして、登ろうとしたら落ちた。
愛犬自身もそれが決定打で車に乗ることを辞めてしまった。
最後の一ヶ月は水も飲まなかった。
多分、多臓器不全。
口から血を流しながら、亡くなった。
そしてその一週間後・・・
特別老人ホームにいた祖母もまた、病死した。
入所してから発覚した大動脈瘤が破裂した。
破裂したら30分ぐらいしかもたないと言われていたが、
120分頑張ってくれた。
96歳の大往生。
警報が出る大雨だったのは、
それでも何か悔いが残っていたのかもしれない。
お通夜の時間も、火葬場の時間も・・・
どしゃぶりの雨。
海と山に囲まれた地域から自宅に戻る時の景色。
あれは一生忘れられない。
午後4時なのに大量の霧・・・
そこに夕日がさし、光は乱反射する。
黄金色の空間。
初めてみた情景だった。