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ニシキゴイの川への放流と自然環境、食べれるか食べらないかについて考える。
先日yahooニュースでニシキゴイの放流について、美談ととらえるべきか、生態系の破壊行為ととらえるべきかについて書かれている記事をみかけた。
発端は山梨県甲府市で2017年5月2日に行われたニシキゴイの放流イベント。
地元のNPO法人が甲府市内を流れる貢川(くがわ)に300匹のニシキゴイを放流するという企画だ。
貢川(くがわ)とは耳慣れない川だなぁと思って地図をみたら、荒川に流れ込む小さな支流でした。
荒川といっても、首都圏を流れる荒川とは別物です。
この荒川も支流でして、甲府市大津町付近で笛吹川に合流、そのあと、山梨県西八代付近で釜無川と合流して名前を富士川と変えます。
フォッサマグナ、浮世絵でも昔から描かれる流れがはやくて有名な富士川ですね。
この富士川、山梨県南巨摩郡身延町を通り、静岡県富士市から太平洋に流れます。
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ブロガーのMistir(ミスティール)さんの記事を読み、そういえばそうだなぁと納得したことがいくつかある。
鯉の認識について考えよう。
“「侵略的外来魚ワースト8」に入っちゃっているような魚※”
先日、世界の名城40選にも入った松本城の堀には鯉がいた。
ひとなつっこい鯉が追いかけてくると表現したが、鯉しかお堀の中には存在していない。
そして、鯉がよく見えるほど水がきれいだったと自分は書いている。
“金魚や鯉を飼ったことがある方は知っていると思うが、浮いている餌をバクっと食べる他に……
掃除機のように砂や泥を吸い込み、その中にある餌を食べるという特徴がある。
実は、この食べ方はかなり環境への影響が「強い」。
固有種の魚の卵もバコバコ吸い込んでしまう、ということだ。※”
“食性は雑食性で、水草、貝類、ミミズ、昆虫類、甲殻類、カエル、他の魚の卵や小魚など、口に入るものならたいていなんでも食べる。※※”
何をいいたいのか想像つくかもしれないが・・・
松本城のお堀は人為的な力もあるかもしれないが、雑食性の鯉が水草すら食べてしまって、水草が育つスピードが間に合わないから、水がキレイなのではないか。
鯉の他にカモも浮かんでいたし、諏訪湖から飛来しているのか、白鳥も2羽ほど実は見かけていた。
あぁ・・・水面に松本城が写ってきれいだな・・・と、単純に考えていたが現実は異なるようです。
あなたも経験しているハズ。小学校にあった池の鯉は鯉だけだった。
自分が育った小学校には鯉が泳ぐ池があった。
学区内にドブ川が流れていて、小学校高学年になるとそのドブ川で釣りをする男の子が騒いでいた時があった。
そこで釣った鯉や雷魚(なぜ雷魚がいるのか30年前の時点で疑問が湧いてきますが・・・それは時間がある時に考えてみます。)を小学校の池に放していました。
そこである程度時間が経てば他の魚が増えたりもするのですが、いつまで経っても大きな鯉しかいないんですね。
共存しているのは鯉のガバっと開いた口に入らない和金とかフナとかばかり。
さすがに30年も経ったその小学校の池は住民もいなくなったのか池自体潰れてなくなり、花壇となってしまいました。
そう、いつまでも小さな魚が育たないのは大きな鯉がいたから。
鯉がガバガバなんでも食らっていたから。
小学校の冬場のプールにはコケ防止用に鯉を放すこともよく話で聞いたことがあります。
そんな鯉を300匹も放流したら、確実に生態系が壊れるよなぁ・・・と、自分でも思いました。
田舎暮らし地では鯉が売っていますが・・・
長野の田舎暮らし地は佐久が近いこともあり、正月は祝い魚のひとつとして鯉が丸ごと一匹売っているような地域です。
普段の生活の中でも、輪切りになった黒っぽいというか、体がグレーな真鯉が売っています。
先日初めて食べてみたのですが、甘辛く煮ればドブ臭くなく食べれます。
フナの甘露煮が巨大化しているようなものです。
たまたま頭と尻尾を食べたのですが、尻尾部分には尖った頑丈な骨が結構入っていて、海の魚の方が食べやすいという感想でした。
頭部分は・・・海の魚と対して変わらないですね。
マグロの目玉のように、鯉の目玉もコラーゲンに囲まれていて美味しかったです。
将来的な話として、放流した錦鯉をもし回収したら食用として店頭にならべるでしょうか。
輪切りのニシキゴイを買い物かごにあなたは入れられるか。
自分はそれを手に取って食べるか考えたところ、ちょっと食べないなぁという感想です。
基本、スーパーで売っている魚ってそんなに赤とか黄色とか鮮やかな色の魚なんてあまり販売しないじゃないですか。
キンキならば単色だから買おうという気になりますが、ウツボが販売されていたら喜んで買い物籠に入れますか。
色が変わっているから好奇心で眺めることがあるかもしれませんが、その美味しさが分かっている人間でない限り、買い物かごには入れませんよね。
いくら鯉を食べる佐久でも、錦鯉はスーパーに並べないだろうな。
地域上、食べなれた姿のものでもないから、『ゲテモノ』と評される種類だと思う。
ちなみに、市場魚貝類図鑑さんより鯉を好んで食べる地域としては
“秋田県、山形県、長野県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都東部、岐阜県、滋賀県、佐賀県、鹿児島県など”
と書いてあった。
・・・おい・・・
鯉を食べる地域でもないのに遊びで錦鯉を流すのはちょっと考えが違うのではなかろうか・・・
先日子供に川について話した。川を見ながら話したこと。日本の川は日本人のエゴではないか。
上田市丸子にあるあさつゆで買い物をした後、近くの川に掛かっていたこいのぼりをみて子供に語った。
農産物直売所 あさつゆにかんする記事はこちら
2016年秋の記事 新たに道の駅を知る。もう野沢菜の時期ですか・・・
2017年春の記事 2017年都心部では桜がさいているよ。長野はどう?
この川、多分千曲川の支流だと思うのだが、川の流れが3分割してあった。
人間が築いた人工の堰(写真参照)、
その手前に丸い石が積み重なった自然に積み重なったような堰(人間が自然に似せて作ったものと思われる)、
更に手前に水路のようなコンクリートで囲まれた幅100センチにも満たないものがあった。
子供は手前の水路のようなところに入りたいと言った。
もちろん親としては反対した。
水の流れが速いからではない。
これはもしかしたら、上流で卵からかえった魚の稚魚が通るために作られた人工的な川かもしれない。
そう感じたからだ。
人間というのはとても自分勝手で、自然を壊して自分たちに都合のよい堰を作った。
でも、それでは魚が川の上流に戻れないから、丸い石を置いて魚が戻れるような堰を作った。
でも、その丸い石を下るには稚魚には力がない。
だから小さな水路を作った。
魚が大きくなって成魚となって戻ってきたら人間は喜んでその魚を食べるんだ。
まだ人生を片手に指に満たない年数しか生きていない子供は、ほとんど理解できていないと思う。
それでも親として、人間は自分に都合よく解釈して自然を作り替えていることを離した。
錦鯉の放流も自分に美しいものと都合よく解釈して放流したのではないか。
それらの錦鯉が将来食卓に並ぶものならば歓迎する気も起きるが、放流ということは正直人間の手から離れて制御することはできない。
都心のビルと同じようにスクラップアンドビルドを、山梨県甲府市は自然を破壊して行う予定があるのだろうか。
“こいのぼり(鯉幟)とは元来、日本の風習で、江戸時代に武家で始まった、端午の節句である旧暦の5月5日までの梅雨の時期の雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた紙・布・不織布などに鯉の絵柄を描き、風をはらませてなびかせる吹流しを鯉の形に模して作ったのぼり。※※”
と記されている。
日本という国だけではなく、世界の自然環境の破壊を愁いてせめて身近な環境から守っていこうという考えに至る日に、風をはらんで泳ぐコイをみて願う日と、今後はなってほしいと個人的には願います。
※・・・引用文は全てブロガーのMistir(ミスティール)さんの記事
※※・・・wikipediaより引用